日本国召喚外伝1巻 メロンブックス特典『夏の野の』

笠井たちがアンカルド山を訪れる、少し前のこと。

ある晴れた昼下がりに、ルーサは屋敷の庭でお茶を飲みながら、季節の花を愛でていた。

「今日もいい色だね」

人には滅多に見せることがない柔和な笑みを浮かべ、小さく囁いた。

その言葉が嬉しかったのか、風も吹いていないのに花が少しだけ揺れる。

「無理に動くんじゃないよ。気持ちは十分伝わってるからさ」

そう言いながら、彼女は不意にある人物を思い出した。

『見てルーサ、かわいい男の子でしょ!』

『名前はもう決めてあるの。――っていうの』

『あのお方の子だもの、きっとたくましく……』

「――ッ……今更何を思い出してんだ、あたしは……」

苦々しい表情を浮かべながら頭を振って、脳裏に蘇った記憶を振り払おうとする。

しかしルーサはその出自から記憶が風化しにくいため、次々と思い出してしまう。そしてこれからのことも視えてくる。

もうすぐ「彼ら」が来る。そして「彼」と出会う日が来る。

その活躍は、隠遁していたルーサの耳にも(鳥や動物を介して)入っていた。種族間連合が結成され、獣人族に負けず劣らずの戦果を上げて、中核として活躍しているという。

「どんな男になってるのかね」

彼の母親は、ルーサが心を許した数少ないヒトの1人だ。

おそらくはこれまでで一番、そしてこれからも一番であり続けるだろう。だからこそ、彼女が産んだ一人息子を、自分が導かねばならないというのは残酷な運命であった。

 

彼女との出会いは、40年以上前に遡る。当時はある島国の人里離れた森に住んでおり、そこでも今のような暮らしをしていた。魔女が住んでいるという噂が流れていたので、ルーサの家に近寄る者はほとんどいなかった。

そこを訪れたのが、まだ幼かった彼女である。

「こんにちは、おばあさん」

普段は人除けの結界を張っている森だが、無邪気な子供はまれにすり抜けて入ってきてしまう。

彼女が「彼」を産むと知っていたルーサは、その運命をねじ曲げないように、なるべく穏便に追い払おうとした。

「おやま、かわいいお嬢ちゃんだね。こんな場所へ来ちゃいけないよ」

「どうして?」

「悪い魔女がお嬢ちゃんを食べちゃうかもしれないからさ」

大抵の子供は、この文句1つで震え上がって逃げてしまう。しかし彼女は「彼」の母親になるだけあってか、肝が据わっていた。

「もしあなたが本当に悪い魔女だったら、何も言わずに捕まえて食べちゃうでしょ?」

これは困ったとルーサは言葉に詰まる。

5歳程度の幼子だが、「あの男」の子供を産むに相応しい知性と胆力を備えている。

「そうだね、あんたの言う通りだ」

「ふふ。おばあさん、こんなところで独りで住んでいて寂しくないの?」

「寂しいことなんてないよ。ここには話し相手になってくれる子がたくさんいるからね」

「たとえば?」

「蝶や花、鳥、木々も小川もみんなあたしの話し相手さ」

これを聞いた少女は、目を輝かせてはしゃぐ。

「すごい! お花さんや小鳥さんとお喋りできるの!?」

「できるとも。彼らの声に耳を傾け、彼らの声をよく聞くんだ。そうすれば友達になれる」

「本当!?」

その日から、ルーサの話し相手が1人増えたのだった。

 

月日が流れ、少女は大人の女性になった。

その頃にはルーサも本当の姿を教え、互いに愛称で呼ぶようになり、唯一無二の親友と呼べる存在になっていた。

彼女はただの人間族のはずで、特別抜きん出た魔力など持ち得ていないはずだが、ルーサのそれとは違う独特の鋭い感性を持っていた。内心をいつも見透かすような彼女の目も、不思議と嫌ではなかった。

そんな彼女に、結婚の話が持ち上がった。

だが当時は領土紛争の真っ只中。各地で戦乱が激化しており、「あの男」も例に漏れず戦いに明け暮れる日々であった。

「無理に嫁ぐことはないんだよ。あんたほどの女が側室だなんて……他にも見合う男がいるだろう?」

「いいのよルーサ、あのお方に見初められたのはとても名誉なことだもの。それにあなただって、私の子が何かを成すってこと、知ってるんでしょ?」

「それは……」

ルーサにとって、それは禁となる行いだった。「あの男」の血を引く「彼」が生まれてこなければ、運命は大きく狂ってしまう。それをねじ曲げてでも、彼女の幸せを願っていた。そして彼女の子も、残酷な運命から解き放ってやりたかった。

しかし彼女はやはり聡く、ルーサの願いは誰のためにもならないと理解していたのだ。

「私の幸せを願ってくれるのはとても嬉しいのよ。でも、あなたは役目を蔑ろにしてはいけないし、何より世界のためにならないのだったら、私はあなたとの決別を選ぶわ」

慈しみに満ちた彼女の目が、ルーサを見つめていた。

「それにね、私――なんだかあなたが私の子のことを、愛してくれるような気がしているの」

 

「そんなこと、あるはずがないだろう」と当時は本気にしなかったが、その言葉が30年経った今でも引っかかっている。

彼女は3人の子を産んだあと、子供たちが自国の領土紛争と政争に巻き込まれないように別の国の王に預けた。戦争は魔王の出現まで続き、種族間連合の結成後まもなく王国は滅んだ。手を取り合った直後にその戦い自体が無意味になるとは、皮肉なことだ。

彼女とは子を産んで以来会っていないが、今はある山奥の村に身を潜めているらしい。

「自分のことは教えないでほしい」と彼女は言っていた。自分の子を突き放すのが世界のためだと考えていて、死ぬまで名乗り出ないつもりなのだ。母への情愛を捨てさせ、自らも息子の枷にならないようにと、厳しく律しているのである。

果たしてそれは正解だったのだろうか。どんな男に育っているのか、それだけが気になる。

「……どんな育ち方をしていたとしても、あんたの子はあたしがきちんと導くよ、クニカ」

 

ルーサが彼と出会う日まで、あと少し。

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