活動雑記#240201

どうも、おはこんばんちは。髙松です。


かねてより参加を告知しておりました『異世界の主役は我々だ!』の、
コミック13巻が2月16日発売だそうです。
原案のグルッペンさんと密に(意味深)打ち合わせつつ、
草薙さんの執筆をがっちりサポートする役割で参加しとります。
今後の展開にもご期待ください。

さて、ここからは読まなくてよいです。

連日憂鬱になるような話ばかりですね。
例の件は当然他人事ではなく、雇われ作家&フリー編集の立場としても「なんでそんなことになるねん」という気持ちしか湧いてきません。

事実とそこからわかることを解説しようかと思いましたが、
どうせ過熱した頭の人々の叩き棒にされるのがオチなのでやめときます。

個人的な創作者としての矜恃を語らせてもらうと、
「オリジナル」と「原作付き」で、「芸術家」と「作業者」を使い分けるべきだと考えています。
僕はあまり書きたいテーマみたいなものがなく、創作者としてのプライドもさしてありません。
だからこそ新人賞は取れていないけど仕事が来る、という側面もありますが。
さておき、雇われ作家となった場合はただの作業者です。
原作者の意図を理解し、版元の要望を踏まえ、原作ファンが一番望むものを提供する。
そこに、芸術家としての意思は一切介在させません。
「どのような修正指示にも従いますし、いかようにも修正していただいて大丈夫です」
原稿をお渡しするとき、必ずこの一言を付け加えます。それが作業者としての姿であろう、と。

編集者として作業する場合も同様ですが、もっと単純です。
作品を一番よい形でファンに届けるために作業する。
これに尽きます。
書籍の編集者は映像でいうところのプロデューサー兼ディレクターのような立ち位置で、
作者と作品をコントロールする重要なポジションです。
だからこそ、例の件で「プロデューサーと版元の担当編集は何をやっとったんや」みたいな呆れを覚えたわけですが。
これ以上は個人叩きに繋がるのでやめます。

SNSは人の可能性を大きく広げた面も確実にありますが、
逆に悪意を届けやすくもなった、功罪併せ持つツールです。
Twitter黎明期から「フォロワー数とはファンの数ではなく、向いた銃口の数」と言われていましたし、Facebookも創設メンバーの一部には「自分の子供には使わせない」と公言する人がいるほど、人の手に余るものだと認識されています。

悪意よりも正義のほうがタチが悪いとはよく言ったものです。
善良なる人が、思い込みで人を殺すのです。
フランス革命の王、王妃殺しと似たようなもんですね。
何百年、何千年経っても、人の本質は変わっていません。
本当に何も変わっていない。義憤に駆られたとき、必要なのは一度立ち止まることです。

第三者は口を挟む立場ではありません。
特にこうした事件が起きた場合、「直接、当事者に声を届ける」なんてのは以ての外です。
事態の推移を見守り、意見を求められたときに限り声を上げればよい。
もしどうしても義憤の衝動を抑えられない場合は、
チラシの裏にでも書き散らして誰の目にも触れさせないようにすることです。
一晩経って冷静になった頭で見返してみたら、その醜悪さに目を背けたくなることでしょう。

以上は、テレビ局や制作サイドを擁護するものではありません。
こんな痛ましい事件が二度と起こらないことを願います。

ではまた。

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